2010年9月26日日曜日

私を待ちうけているもの


その人の悲しみの枠組みがその人の母親に因って
形作られているように見える。る。

そこで自分の母親について考えてみたのだった。
私は彼女にどのような悲しみの枠組みを与えられているのかと。

今まで自分のこととなるとなんだか曖昧でよく思い付かなかったので。

そこで思い当たったのが、私は母親から利用された記憶が
ほとんど無いということと、
母親の昔の話や個人的な感想等を彼女自身から一切聞いた記憶が
無いということだった。

おお、パンドラの気配がする、と、
でももう少し立ち向かってみることにした。

彼女は自分の孤独を全く自分で負っていたのだとして。

その上であの要領の悪さ、滑稽さ、笑顔と可愛らしさがあるのだとしたら恐るべき可愛らしさである。

それが彼女の悲しみの枠組みだとしたら、祖母はどうだったのだろう。

母親の小さいときの話を少しだけ聞かせてくれたのは祖母である。
幼い私に一度、「あなたのお母さんは優しい人だよ」と言ったのも忘れられない。


ふと、隔世遺伝に頭が切り替わる。

時代というのは前時代に対する反定立と前々時代に対する憧れと、現状の環境等によって形作られる。

隔世遺伝というのは本当に単純なことなのだ。

時代の緩急もその運動の現れである。

その決して反復ではない螺旋という三次元の状態に
ははあと気が抜ける。




と、あああれをしなきゃいけないんだった私ったらみたいな顔で

今日もパンドラから少しづつ後ずさるのだった。


























2010年9月25日土曜日

プリズム


小さいときに両親が気づいた

私は視力が弱かった

でも遊び方をよく知っていて

それは光に関する遊びだった

輪郭は重要では無くて

交わらせるほど綺麗だった


プールの授業の時は眼鏡をはずすから

度入りのゴーグルを持っていた

ゴーグルをつけないでプールサイドにいるとき

太陽と、手元にとどく太陽の光と、

プールに反射している光をずっと見ていた

目を凝らせばどこにでもプリズムを発見できた


今考えるとみんな見えるんだろうけどそのときは

これは私にしか見えないんだな、と

静かに感じていた

肌はじりじりと焼けているのに

お腹の中はいつまでたっても暖まらない気がした






2010年9月24日金曜日

立ち向かう


無くしてしまうことや過ぎさってしまうことを

怖れて 浮つくのではなくて

集中の先に

軽やかさはあるのだろうな



正直と健康って両立するの?ばあちゃん。

でも今、考えれば同じな気がして来たな





2010年9月11日土曜日

おまじない


1発目が大事。


本当に必要なものを

自分の力を使って

手に入れることができる。


黒赤く、ど太い

いも虫が

口を裂いて出ようとしているところを。


抱きしめる。



腹に虫が治まる。



果たして、蝶になっていれば何色だったのか。



ごめんね、欲しいものがあるの。