2012年11月23日金曜日


毒を飲むと死ぬけど

毒を加減すれば麻酔になる

痛みを感じずに悪いところを治療出来るから

麻酔は優しさである

毒は優しさに成り得るのだ

そして

優しさは毒でもあるのだ

逆もまた真なり。



麻酔の加減は難しい

病院だって患者は手術前に誓約書にサインをする

0.01%の確率で死ぬ可能性がある旨を了承するのだ

麻酔が多ければ死ぬし

目が開いても意識がないこともある

副作用が出ることもあるし

足りないで腹を切れば痛いしやっぱり死ぬこともあるだろう



それとは別に

赤ちゃんを産むとき

麻酔を出来るだけ使わなかったりして

経験したことの無い痛みの中

身体を内側から裂いて出てくる

赤ちゃんの命も自分の命もかけなければいけない戦いで

だからあんなに

なんか いろいろすごいんだと思う


毒も優しさも渾然となって

もうなにもわからないだろう

母親も子も

なにが優しさでなにが毒か

もうなにもわからないだろう


























2012年10月28日日曜日


「貞操観念のポップ」

、“ポップな貞操観念”では無く

あくまで

「貞操観念のポップ」

と言った場合の。


ほんと解る人だけ解ってくれればいいやって



でもそうならないように

そうしたら負けなかんじが 


「貞操観念のポップ化」
早く明言しろよ
出来ねーか
バブルらー
いやもっと前か

めー


…明言するのは野暮なのか な
…いやそれこそ思うつぼだろー


じゃあ貞操観念が既にポップだったら

これからどうなるのかな


なんか楽しそうだし重そうだし

共産主義っぽくやっぱりなるのかもね

マルクスー

















2012年10月5日金曜日


私は何か書かなくちゃいけない

私の二番目の友たちに

書き残しておかなきゃいけない

二十代であるうちに


あなたは私の二番目の友だ

と言うのは

スティービーワンダーだったかな








2012年9月13日木曜日


眠れないので立て続けに

紅の豚を見る



私はこの話がなんだか好きだ










コピーの場合もある

コピーのコピーの場合もある

でも

何かの例えの体裁もある

何かの例えを説明する為の例えの体裁もある


今のご時世でもののけ姫を見たら

吃驚することもある


出来事とはたった1日で起こる


今日はこれで仕舞いとする

寝よう寝よう












例えば私が何か話す時

外国人と話しているみたいだ

もののけ姫はあと少し

印象の塊だ

このような現象を解消することは

人間に出来るか

このような現象を解消する前に

人間は滅ぶか

このような現象を解消しても

人間は滅ぶか


印象の塊

陰を使った例え







好きでもない

嫌いでもない

ただなんとなくわかるから覚えている

村上春樹 1Q84から

「言わないとわからないということは
 言ってもわからないということだ」

ただなんとなくわかるから

覚えている







何のことは無い

私はただもののけ姫を見ているのだ

零戦からの

戦国時代小説に手を出し

面白いと思えず

カルティエのショーケースを漁るが如く

模倣の古語を音声で聞きたかったのだ



それにしても

私の初体験だもののけ姫は

私が映画館で見た初めての映画だ

あまりにも田舎で

あまりにも臆病で

わたしは初めて見た

映画館で


そのような記憶を傍らに

あまりにも今

発見が多すぎて

全然まだ途中なのに

あまつさえ涙も


羨ましい

このようなものを作って

死んで行けるなんて

羨ましい


私が泣くことは

作成した者にとって

意味が無いだろう

でも意味があるだろう


意味が無いだろう

でも意味があるだろう
















恨みつらみを

世に問うているのでは無い

己が理解の為に

ただ連ねているのだ

だがしかし

世の答えを拒んでいるのでもない

我々は挑んでいるのだ

台座に立つ者と対峙したいのだ

対峙した時に我々は強くなる

強くなって

より強固に己を守りたいのだ

ただそれだけの

ただ己が為の

自己犠牲を養って

何を成し得たいのか

問え













私はだいぶ狂ってきた

時間をかけて音も立てずに

それをとめたからと言って

それはとまることではない

余波は来る

これまでより大きく 速く

私は狂うだろう

踊りをやめた踊り子が

どのような子を産むか

想像出来ぬ者は馬

想像出来る者は鹿

踊ったことが無ければ

それは知れ無い

解らないことは罪では無い

だが

知らないことも悪では無い



肝要なのは

美しければ悪くはないという

階層が存在すると

いうことだけだ



それは共有できるだろう?

そしてそれはどこにも繋がらないだろう?


どこにも繋がらないから

共有し得るのだ


だがそれが何になるの?

さて何になるかな






愛鈍脳





あなたはしっている?
















2012年8月30日木曜日


とけない雪は無い

でも少しだけ安心してほしい

私はただの過去だ












2012年8月14日火曜日


星に願いを。

ビールに祈りを。









2012年7月28日土曜日

幼稚園に入って最初の記憶は

11
先生が部屋の真ん中に置かれた
ピアノの椅子に座って泣いているのを
輪になって座っていたみんなで黙って見ていた。
幼稚園に入ってからの最初の記憶。
私は4歳だから赤ぼうしさん。

12
お掃除の時間で私は軒下のお掃除をしていた。
なぜか止まれなくなってひとりでずっと
ネズミ色のコンクリートの上を掃いていた。
掃いても掃いてもきれいにならない。
お掃除の時間が終わっても先生がいくら呼んでも
みんなが部屋の中から見ているのがわかっていても
自分ではどんどん止められなくなって意地みたいに掃いていた。
上手に止めてくれたのは2つ上のあきこちゃんだったと思う。

13
ドリルの問題に四苦八苦していた。
小鳥さんの入ったかごの線をまっすぐなぞる練習。
鉛筆でまっすぐ縦線を引くのはすごく難しい。
こうすればまっすぐ描けるよと
絵本の背表紙を定規にする方法を
あきこちゃんが教えてくれた。
なんて頭がいいんだろうとびっくりした。


14
黄ぼうしさんになった。5歳。
部屋も変わった。この部屋が一番好きだったかも知れない。
なんといっても階段で2階にあがるとそこは図書室で
降りるときにはすべり台で降りてこられるのだ。
6角形の丸い部屋で窓がぐるりとついていて明るい。
おたのしみは絵本とお絵描きと
おはなしおばさんと外国の先生の英語の授業。

15
おはなしおばさんはその名の通り
お話をしてくれるおばさんだった。
絵本を読んでくれたり
ちいさなお人形が5人ついてるてぶくろをはめて
人形劇をやってくれた。
英語の先生のおかげである日
お母さん集団に突然すごく褒められた。

16
ある日字が読めるようになった。

17
6歳。青ぼうしさん。
なんでかオラァ!とかアチョー!とか言っていた。
だれだれちゃんがスカートめくられたという話を聞くと
めくった男の子を成敗しに行っていた。
男の子のボスとしょっちゅう決闘していた。
決闘のはずがいつのまにか
カンフーを伝授されていることもしょっちゅうだった。

18
そういえば幼稚園には小さな教会がくっついていた。
違う?..違わない。幼稚園に小さな教会がくっついていた。
牧師さんが園長先生だった。
日曜はお休みだったから月曜にお祈りの時間があった。
お祈りが終わるときれいな絵のシールが1枚もらえて、
自分の手帳に貼って集めることが出来た。
イエス様が言ったいい言葉と、そのシーンが描いてある。
一番好きな言葉。
あなたのりんじんをあなたよりもあいしなさい。
大人になって気付いたけど、私は間違って覚えている。

19
ある日シールの余白の部分を食べてみせた女の子がいた。
ごくん。飲んじゃった。すごいでしょう。
私だって食べれると言って、私もシールの余白を食べた。
変な味。でも私には出来ないなんて嫌だ。ごくん。
ほら私も食べれたー。
えーほんとに食べちゃったのー?うそだったのにー。
と言われてその子の手の中に在ったくしゃくしゃの余白。
私食べちゃった、嘘つかれちゃった。
泣いたと思う。

20
お家まで送ってもらう帰りのバスの中で
えりかちゃんと初めて隣の席になった。
ちがう部屋の子でしゃべったことないけど知ってた。
名字が同じだったから。
あまりはずまない会話の中で嫌いな食べ物の話が出た。
ピーマンは?と聞かれて、つい
食べれるよ
と言った瞬間
すごいなぁ!えりかピーマン嫌いなんだ、すごいねぇ〜
と言われた。
パニックになってぱくぱくしてる間に
あ着いた、ばいばい!とえりかちゃんは行ってしまった。
おんなじ名字なのに。
ほんとは私もピーマン嫌いなのに。
嘘はついちゃいけないことなのに。














2012年7月27日金曜日


一番最初の記憶は

1
えりちゃんちで遊んでいる。明るい畳の部屋を覚えている。
えりちゃんはまだ小さくて私はお姉さんだったけど小さかった。
保育園に入る前だと思う。2歳くらい。

2
夜泣きは一切なかったそうだ。
夜中に目が覚めると私はひとりで勝手に起きて、
枕元に置いてあるお水をちゅうちゅうと飲んで
それからまた寝ていたそうだ。

3
お父さんは自営業で眼鏡屋さんを営んでいた。
お母さんはそれをお手伝いしていた。
私が小さかったとき眼鏡屋さんの奥の給湯室に
寝かされていた。給湯室は二畳あっただろうか。
私がお店に出てこないようにお父さんが柵を作った。
お父さんは器用。何でも作ってしまう。

4
ある日柵を飛び越えようとして怪我をした。
私の右手の甲には今も傷がある。
そうして私は「右」を覚えた。
傷がある方が右。ないほうが左。
わからなくなったら手の甲を見れば良い。
こっちはみぎ。だからこっちはひだり。

5
保育園の記憶は無い。保育園から帰って来て遊んでいる自分は
覚えている。保育園はお寺がくっついていた。いやお寺に
保育園がくっついていた。だから仏教だった。

6
保育園から直線300mのところにお父さんの眼鏡屋さんはあった。
その間、眼鏡屋さんから100m、保育園から200mの所に
すすきだらけの正方形の空き地があった。
いつもそこで遊んでいた。ひとりで。
お父さんとお母さんは眼鏡屋さんのショーウインドウから
私を見張っていたのだろう。すすきの中で見え隠れする
赤いジャンパーの私。


7
給湯室にある神棚もお父さんが作った。
いつもお店を閉めて帰る前にお父さんと並んでお祈りをした。
手を2回たたいてパン、パン。
お店が潰れませんように。おみせがつぶれませんように。
おみせがつぶれるという意味は教えてもらった。
とにかく大変なことなのだ、ということだ。
きっとお父さんはすごく悲しいことになるのであろう。
あんなに一生懸命祈っている。

8
お母さんとスーパーに買い物に行く。
知らないおばちゃんと会う。知らない女の子もいる。
こんにちは。と挨拶をしたら
女の子がおばちゃんのスカートを握って後ろに隠れてしまった。
なにそれ。いいな。
すごく真似したかったけど、きっとあんまりやっちゃいけないんじゃないかな。
でもすごく羨ましかった。かわいかった。
お母さんとおばちゃんの話を聞く。こういうのは人見知りと言うそうだ。
あの子にはあって、私には無いんだそうだ。
今度このような状況に遭遇したら絶対やってみようと思った。

9
ピースとウインクが出来るようになった。
むりやり。

10
ひきつけを起こしていたそうだ。
記憶にはない。
ある日熱が出てひきつけの発作がでたとき、
タオルにくるんだスプーンが間に合わなくて
お母さんが私の口に手をつっこんだそうだ。
お母さんの手は血だらけだったそうだ。










2012年7月9日月曜日


きっと


この解は私 独りで導きださなければならないんだな


問答のように


正解ではなく 回答を提示して


それを積み重ねて一つの解に辿り着くように


その解も 回答する私も


一つの解に回収されればいい




それが答えだ




応答せよ















2012年3月22日木曜日


頭が働かない

どんなに本気で取り組もうとしても

どんなに素直であろうとしても

最低ラインをキープしているだけだ

頭が働かない


また

それとは別に


寂しい


ああ今 私は

寂しいと思っていると

認めてみても

甘美なだけで

認めた瞬間 甘美なだけで

何も生まれない

歯痒いだけだ


そして

間の悪いことに


頭が働かないから


ただその歯痒さに うずくまるだけだ

うずくまるだけだ


しかも


ビールを

ちびりちびり飲んで

書ける文章も

たったこれっぽっちだ


たったこれっぽっちだ





















2012年2月27日月曜日



仕事が日勤になってから

1日がすごく短くて

1週間がすごく長くて

びっくりしながら生きている


夜勤だった頃は

1日はもっと長くて

1週間は短かった


比較すると

1日は半分になったし

1週間は倍になった


不思議だなあ

世の人たちは

こんな時間の中で生きていたのだな

私はパラレルワールドで生きていたんだ


なんか少し ねこみたいだな


私がどんな濃度であなたのことを考えていたか

あなたがわからないのは当たり前だったのだな













2012年2月20日月曜日



お昼

掃除機が苦しそうに出していた音が

蝉の声に聞こえて

顔を上げたら

窓を開け放っていて

窓の外の公園が見えて

とても日が射していたものだから

余計 蝉の喧噪に聞こえて

しばらくの間 幻聴を大切に保ち続けた

しばらくの間 ちょっと静かにしていた














2012年2月14日火曜日


愛という言葉は

中国語だ

本を読んでいたら突然思い出したように理解した

それで少し見た個人の見解もちょっとおもしろかった

いろいろ勝手に抜粋してすみません


日本語の愛という言葉と文字の由来をおしえてください


中学か高校の頃の教科書で、
日本にキリシタンが伝来したころ、愛ということばが日本語にはなかったので、困った宣教師たちは、ご大切、という単語をつかって布教活動をした、
…というエピソードを学んだ記憶がありました。

でも考えてみると、「愛という漢字」は古くから中国から伝来してあっただろうに?と思うのですが、
日本語での、愛、という文字とことばの意味には、どんないきさつがあって今のような「愛」が出来あがったのでしょうか?

なんか質問文の日本語がうまく言い表せないのですが、ピンと来て下さった方、どうかよろしくおねがいします^^


「愛」という字は割と古くから伝えられていたようです。「愛染明王」は弘法大師が伝えたといわれていますね。
 「愛染明王」の「愛」は性愛のことで、この明王様はそういった行為を否定しなかったことから、遊女などの信仰を集めたそうです。
だからといって、決して卑猥な意味合いで使われていたわけではなさそうで、上杉家の家臣だった直江兼続の兜の前立てに「愛」の字が使われています(「トリビアの泉」でも取り上げられたことがあります)。


わあ、これは大変勉強になりました!
こんな仏さまがいらしてくださってたのですね。

愛染かつら、の清い純愛ドラマのイメージでしたので意外でした!
往年のエロスの女王愛染恭子さんの芸名は愛染明王にあやかったのかも?ですねえ^^


西洋世界ではフロイト博士がリビドー説をとなえるまで性愛の人間根源説は認めようとされなかったことを考えると、本当に西洋人が仏教の精神世界の高度さにあこがれるのが初めて納得できた気がします。

>上杉家の家臣だった直江兼続の兜の前立てに「愛」の字が使われています
なるほど、愛染明王がとても怖い仏さまだという説明を読むと、強い武人の象徴として兜に印をつけたい気持ちがわかる気がします!


ご質問の主旨とちと、ずれてるかもしれませんが・・。

古来の日本語がそもそも持っていた「愛」の意味は
性愛のことだったと聞きました。
愛人・愛欲という単語がそれを髣髴とさせるよい例です。

宣教師たちが見つけた「愛」という言葉は
キリスト教ではむしろ嫌っている肉欲・性愛 etcの
意味合いだったので使うことができず
やむを得ず他の表現を探したのでしょう。

しかし、当時の日本人は
 (今も存分にその傾向がありますが)
本当の意味で大切な人への愛を表現しませんでした。
妻や夫に、あるいは親や子に
好きだ、というような表現がなかった。
せいぜい、母上を大切にしなさい とか
だんな様を大切に思います  くらい。
それで「ご大切」 を採用したのでしょう。

愛 という言葉が性愛から離れて普及し始めたのは
明治以後、新しい訳で出た聖書がきっかけと聞きました。

こちらもキリスト教がきっかけとは
面白いものですね。


中国にもともとあった「愛」はどんな意味合いだったのでしょうか。
今の中国人たちは 純粋な家族間の愛情を
どんな字(表現)であらわすのでしょうか?


「愛」は、altosaxさんが書かれているようにキリスト教で、神が人々を救ってくれる恵みの心のことですね。

「愛」は、「旡」(カイ)から来ています。この旡とは、人が胸を詰まらせて後ろにのけぞった様を表しています。
「愛」=「心+夂(おくれる=足をひきずるの意)+旡」で、心がせつなく詰まって、足もそぞろに進まない様を言います。
「哀」(胸が詰まってせつない)ともきわめて近い言葉です。

漢和辞典からの引用なので、分かりずらいとこもあるかもしれませんが、意味は大体こんなところです。




平安文学で「愛」は「愛(かな)し」と読ませ《いとおしみ離れ難い心境をあらわす》
のだそうです。

“日本で最も多くの本を読んだ男”とも称される亀井勝一郎
「愛の無常について」という本があります。

「人間であるかぎり、愛とは巨大な矛盾であります。
 それなくては生きられず、
 しかもそれによって傷つく。

 あるいは、愛とは偉大な虚偽だと言えましょう。
 これによって人々はむすびつき、
 同時に最も深刻な敵対関係にさえおちいりかねない。

 それはいつか欺かれるのです。
 他を欺くのみならず、己を欺く。
 われとわが身を窮地へ追いこむような作用をもっています。
 この上なく美しく、しかもおそるべきは人間の愛であります」







2012年2月5日日曜日


あたたかくてやわらかくて

なめらかでちいさくて

やさしくてかしこくて

わたしがかえるとおかえりといってくれて

わたしのいくところどこにでもついてくれて

わたしがねるとふとんにはいってきてくれて

もうそろそろおきたらとおこしてくれる


あなたがわたしの人生にあらわれてくれてよかった

あなたがあらわれてわたしの孤独にふたがついた

ありがとう