2010年9月26日日曜日

私を待ちうけているもの


その人の悲しみの枠組みがその人の母親に因って
形作られているように見える。る。

そこで自分の母親について考えてみたのだった。
私は彼女にどのような悲しみの枠組みを与えられているのかと。

今まで自分のこととなるとなんだか曖昧でよく思い付かなかったので。

そこで思い当たったのが、私は母親から利用された記憶が
ほとんど無いということと、
母親の昔の話や個人的な感想等を彼女自身から一切聞いた記憶が
無いということだった。

おお、パンドラの気配がする、と、
でももう少し立ち向かってみることにした。

彼女は自分の孤独を全く自分で負っていたのだとして。

その上であの要領の悪さ、滑稽さ、笑顔と可愛らしさがあるのだとしたら恐るべき可愛らしさである。

それが彼女の悲しみの枠組みだとしたら、祖母はどうだったのだろう。

母親の小さいときの話を少しだけ聞かせてくれたのは祖母である。
幼い私に一度、「あなたのお母さんは優しい人だよ」と言ったのも忘れられない。


ふと、隔世遺伝に頭が切り替わる。

時代というのは前時代に対する反定立と前々時代に対する憧れと、現状の環境等によって形作られる。

隔世遺伝というのは本当に単純なことなのだ。

時代の緩急もその運動の現れである。

その決して反復ではない螺旋という三次元の状態に
ははあと気が抜ける。




と、あああれをしなきゃいけないんだった私ったらみたいな顔で

今日もパンドラから少しづつ後ずさるのだった。


























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